墨の歴史 中国編
三国・南北朝時代
三国時代の魏に韋誕(いたん)(179-253)という人がいました。この人は文も書も上手だったといわれているのですが、この人に「もし張芝の筆、佐伯の紙と臣の墨を用い、この三具を兼ね、また臣の手を得て、しかる後に径丈の勢いも方寸の千言も得るべし」と書き残した上奏文があります。
この中で自分の書が優れているということと同時に、自分で作った墨の良さを付け加えています。
当時韋誕は、製墨家としても名があったので『墨経』という書物の中に、製墨のことについて述べています。この製墨法については、北魏時代の賈思キョウという人の著した『斉民要術』にも記載されています。
これらのことを待つまでもなく、この時代には優れた書があり、ことに敦煌石窟から発見された写経に見られる墨色からは、首都となっていた洛陽を中心に大量の製墨工場があったと見られます。
「The 墨」 松井茂雄著(前墨運堂社長) 日貿出版社 より