墨の歴史 中国編
宋 時代
北宋時代に入ると、祭襄・蘇軾・黄庭堅・米ふつ・秦少游などの人々が文墨趣味を盛んにし、名墨を競って愛好するようになりました。そして、逆にこれらの人々が墨づくりについて、使う立場から色々と注文を出し指導するようになりました。この頃から使う人の好みというものをとり入れるようになります。
北宋時代の墨匠としては、藩谷・蘇凝・晁貫之・陳謄・藩衡・沈珪・王湍などがいました。また南末の墨匠としては、蒲大詔・胡景純・戴彦衡・呉滋などがいました。
墨は、安徽省ばかりでなく北宋の主都となった河南省のべん京(今の開封市)にも十数家を数える名墨家がありました。その代表が藩谷であります。蘇東坡は、彼を墨造りの名人だとほめたたえています。
北宋時代は、この他に多くの墨匠が出ていますが、河南・河北・山西・山東などの華北に散在しました。この地方は、金王朝の領土になり、首都が臨安(淅江省杭州)に移ったので生産地も華中地帯で主なる産地は、徽州です。
南宋時代の墨匠の戴彦衡は、陶磁の官窯を臨安に設けたように官墨を造ろうという試みが宮廷内にありましたが、原料の松の産地が黄山でなければ良煤は造れないといって断ったという記録があります。
この人は北宋の米ふつと交流があり、その下絵を墨に用いたともいわれています。
それまで墨は松煙が中心であったのですが、南宋時代には、油煙墨が普及するようになり、その第一人者が胡景純で、「桐華墨」というのを造ったといわれています。
このほか金時代には、当時画人として名をなした楊邦基が、劉法という墨匠のために墨史図を描いたと伝えられています。今日でいう製造工程で、①入山、②起竃、③採松、④発火、⑤取煤、⑥烹膠、⑦和剤、⑧造丸、⑨入灰治刷、⑩磨墨の十図であったといいます。つまりこのように、墨に対する製造方法というものがこの時代に個人差はあるにしろ、確立されてきたとみてよいでしょう。
「The 墨」 松井茂雄著(前墨運堂社長) 日貿出版社 より