墨の歴史 中国編
殷・周時代
中国では 殷・周 時代(B.C.1700-B.C.770)に書かれたと思われる土器や木簡、帛書などが発掘されております。墨らしきものが実在したことは確認できますが、どのような物であったかは定かではありません。しかし、漢時代(B.C.206-A.D.220)には小さな墨丸といわれる球形のものであっただろうと発掘された硯の形から推測されます。当時の硯は墨池のない平面の物が殆どで磨石がついており、この磨石で平面硯の上で小さな墨丸をすり潰したようです。原料は宋代の【墨経】によれば、松煙を中心に始まったと推測されます。後漢の時代に蔡倫によるといわれる紙の発明により、必然的に文字も大きく書かれるようになり、墨丸の墨では間に合わず墨の形も球状から磨り易い現在の墨の形の基礎が出来たと思われます。その後、唐時代(A.D.618-960)になると墨匠という墨造りの名士が出てくるようになり、多くは易州に住んでいましたが世が乱れ徽州に移り住んだことにより墨の産地として知られるようになり、徽墨の名をもって呼ばれるようになりました。 南唐の李後主は廷珪に李姓を与え墨務官に任命したのですが、これが徽州(安徽省)の墨業を盛んにし今日まで伝わっています。宋時代(A.D.960-1280)には文墨趣味が盛んになり、製墨業も栄え、南宋時代には油煙墨が普及するようになったと言われています。
墨書土器
墨丸と硯
明時代(A.D.1368-1644)は文化において豪華絢爛さを示し、製墨業も隆盛を極めた時代で、墨も宋代までは松煙墨が中心であったが、油煙墨となり程君房、方于魯が代表的墨匠と言われております。この時代に様々な墨譜が発刊されましたが、有名な物に程氏の「程氏墨苑」、方氏の「方氏墨譜」があります。この時代の墨は製法はもとより用途、さらに鑑賞墨にも幅広い展開を見せるようになり、古墨といえば明墨というように代表的な意匠を確立するようになりました。
清時代(A.D.1644-1911)は、乾隆帝の文化政策から製墨業は一段と盛んになり、「乾隆御墨」として現在に伝わっております。
「The 墨」 松井茂雄著(前墨運堂社長) 日貿出版社 より